避難所運営図上演習をニコロ・マキャベリの『君主論』で考える

イタリアはルネサンス期の政治思想家、ニコロ・マキャベリは、混沌とした時代を生き抜く君主や政治家、つまり「リーダー」のための書として『君主論』を執筆しました。「目的のためなら手段は正当化される」マキャベリズムという言葉を生むに至る内容は賛否あり、マキャベリ本人の評価も様々ですが、個人的にはリーダーシップ論のテキストの1冊と考えています。

今回はそんなお話を導入に、静岡県が開発した教材『避難所運営ゲーム(HUG)』と避難所運営の考え方についてご紹介します。

避難所運営も様々ですが、本稿における避難所運営は「大規模災害等により、広範囲に渡り家屋被害、ライフライン被害が生じた結果、多数の人に1週間以上の避難生活が想定される」場合の避難所運営、という前置きをします。

HUGは文字通り運営側の状況を考えてもらうための教材です。

詳しくは こちら(静岡県地震防災センターホームページ) をご覧ください。運営側、つまり参加者には、避難されてきた方に見立てたカードをスムーズに避難所想定となる校内外へ誘導、配置し、トラブルや課題解決をするというミッションが与えられます。コントローラー(指導者)は、ルールを理解してもらう、様式や図面の使い方を説明する、カードに記載されている情報を説明する、といった事前指導を行います。

詳しくは 下記の記事 でも紹介しています。

僕が大事な要素だと考えているのは「カードを読み上げ、配置を考えるペース」です。静岡県が作成した指導案には「読み上げる人は、考える時間を与えないように次々読むこと」となっています。実戦的な受け入れを印象付けるには、重要な要素だと思います。

その反面、避難所運営が、人による人のためのものであることを意識していないコントローラーがこの指導を行うと、大きな誤解を生むような気がしています。

早く対応することと、配慮や思考を放棄することは違います

カードを読むペースを上げると、参加者の目的は「読まれたカードに対応すること」になります。そして「カードを速やかに配置するためには、配置を考えるのは後回しでいい」「とりあえずみんな体育館に入れろ」となります。

本来、考えなければならない過程が省略され「目的のためには、手段が正当化される」、つまり「考えるのは後回しでいい。なぜなら、カードを配置しなければならないから」となります。

課題解決に追われるあまり、結果として全カードを配置できたら満足感に浸ってしまい、それが「目的達成のため」という強引な結果であることなど、自覚することすらありません。

優れたリーダーであるためには、時にシステマチックな、合理的な対応も必要でしょう。ですが、それは「人間性を捨てろ」ということと、同義ではないのです。人が、人のために、お互いに助け合う場が避難所であるということを念頭に置き、一人一人の背景に想いを馳せながらも、感情や他人の意見にに振り回されることなく冷静に判断し、対応することは、不可能ではありません。そのための練習が、HUGの本質だと考えています。

だからこそ、僕は後半に追い込みを参加者にかけることがあります。丁寧な運営を心掛けていても、誰かに(何かに)追い込まれると「避難所=利益になるのであれば、避難者=非道徳的・・・とまではいかなくても人間的な対応を欠いてもやむなし」という考え方に陥ってしまうことがある、と気付いてもらうためです。

避難所運営は戦いを念頭においた国政とは異なります。マキャベリの時代では君主論で論じるようなリーダーシップもあるかもしれません。ですが、こと避難所運営においてはどんなに苦しい状況であっても、避難所というシステムのために、人間性を犠牲にすることが正しい判断とは言えません。

一度練習で自覚すること、そして予めルール作り等の対策を講じることで、実際の場面でほんの少しでも”ゆとり”が生まれてくれれば、と願っています。

その”ゆとり”が、災害を共に乗り越えていく人への思い遣り、優しさ、気遣いへとつながります。それは、災害そのものに対して適切に対応することと同じように、重要なことです。避難所運営ゲームを実施する方、参加する方は、カードの配置に追われることなく、常にカードを人間として捉え、合理的かつ相手の状況を考慮した対応を考えていただければと思います。

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